昔の男

2004年8月31日 日常
今朝ノロノロ渋滞をボーっとしながら運転していたら、こんなことが頭に浮かぶ。

それは、

昔振られた男に今会う機会があって、

そいつが、

1.学生ノリが全然抜けてなかったり、
2.休日ゴルフばかりで、家族サービスを全然してなかったり、
3.『グリパン、英語できんの〜』と言って私を嘲笑ったり、
4. 男は船、女は港なんて昭和な事を平成の21世紀時代になっても思っていたり、
5.相変わらず自信過剰だったり、

したら、

悲しいかな。

それとも、

こんなヤツと一緒にならなくってよかった、

って思うかな。


私を振った男なんだから、
やっぱり私はこいつには足りなかったんだなぁ、って思わせるような男でいてほしいよなぁ。

やっぱり、

悲しいのかな。
の、レビューなんてないよ(汗

ただ、口は災いの元、というか、
天狗になっていたわけじゃないけど、

まだまだですなぁと自分自身に失笑しているのであった。
Robbie Williams CD Chrysalis 1998/12/01 ¥4,017Lazy Days
Life Thru a Lens

好きである。
声がとくに好き。

義理妹は猛烈なロビーファン。
昨日も彼のシークレットライブのビデオを鑑賞。
なかなか芸達者なロビー。
ジャズバージョンを歌ったり、ギター弾いたり。

今度ロビーがあいるでライブがあったら一緒に行く予定。


正統派を売りにしていたTake Thatで、ワイルド系だった彼。
そして、グループを去ったあとTake Thatは解散。
ボーイズバンド上がりで、ここまで成功した人ってこの人くらいだろうな。
Westlifeのブライアン・マクファーデンも引退したときは、ロビーのように成功するか、Coronation Streetの端役か、奥さんのようにジャングルサバイブするか、と書かれていたし。

おもわず、スマップを重ねてしまった。
もしもキムタクが引退して、ソロになったらロビーのように成功するのかしら。芸達者だけど、なんか弱いんだよなぁ。と
じゃ、スマップが解散して一番成功しそうなのは・・
私としては、慎吾ちゃんかな。まだまだ伸びそうだし、それに「三谷組」入りしたし(笑

あー、新撰組観たいなあ。
山南氏の切腹シーン見事だったて、ヤフーとかで読んだ。
切腹つながりで、「元禄繚乱」の浅野内匠頭(東山紀之役)も見事だったな。

新撰組のDVDとか出たら買っちゃおうかしら。買うまでもなさそうだけど、他に方法ないしさ。

もし、家で観てたらヤツは興奮するかしら、切腹シーンとか。
でも三谷さんの笑いは分からないわね、ふふ。
その前に英語の字幕は付いてないだろうから、隣で説明しろとか言われるのも困るな。

そういえば、コークで居候中の家。友達カップルが自分たちの家に引っ越してから、オーナーのKが新しいhouse mateを探していたのだけど、どうやら見つかったらしい。

ヤツの情報によると、イタリア人女性x2

なんかオーナーKのデレッとした顔が思い浮かぶ。(ヤツも然り)



なんかロビーネタからずいぶんと離れたなぁ。

8月26日の日記

2004年8月26日 日常
別にすごーく忙しいわけじゃないけど、なんかあっという間に時間がすぎる。

あー明日は金曜日。またこーくへ戻ります。

・義理妹の娘Jの友達(6歳〜9歳)。とってもいい子たちなんだけど、なんか集団でいると怯んでしまうグリパン。よわっ。

・義理妹の息子Cの友達(3歳〜5歳)。アジア人=ピザ屋勤務 と思っているらしく、いきなりピザ焼いてといわれても困る。

・リクルートサイトからCVを送っては、首をなが〜くして折り返しの電話をまっている。十分ではないならないと、メールの一本でも入れてくれ。と、いつも同じ仕打ちを受けているので慣れたはずだが、やはり辛い。。。

・もう、オフィスワークはやめて、ガテン系で行こうか。

・日本でもアメリカでもあいるでも、同じ職種でも呼び方が違ったりする場合がある。だから職種内容をよく読んでいると思いも拠らない仕事に当てはまったりする。

・やはりCVはその職種用に多少加工する必要もあるわけで、金太郎飴のごとく勢いで送ってしまっている私は愚か者。

・あいるの夏は終わった模様。
ヤツのベストマンをしてくれたCとその婚約者sが購入した家が入居でいるようになったと連絡があり、見に行いった。

新築を買った二人。
今年の1月に私が初めて二人に会った時に話題にあった、Timberの暖炉や目の高さに配置されたオーブン・グリルが実際にそこにあった。

新築なので、完全とはいえないけれども、徐々に引越しをして来週には住み始めるといっていた。

こちらでは中古の家の内装は契約書に何が残るかということが記されるため、前のオーナーが全部持っていってしまわない限り(カーペットからレンジフードまで持っていくオーナーもいる)、だいたいすぐに人間らしい生活ができる。
新築の内装の場合、もちろん全部はじめからそろえるのだけど、建物が出来上がってガス・電気・水道が通るようになると、その時点で鍵を渡され入居可能になる。
経費節約のため、だいたい床のタイルやフローリングの仕上げなどは自分たちでする。
CとSも然りである。

Sは「自分たちの好きな色ばかりそろえて部屋がシンプルになりすぎて、飽きたりしないかしら・・」とキッチンの床に貼るタイルのサンプルを見ながら心配していた。

私たちは中古を購入した。引越しはまだまだ先だけど。
契約書には、カーペット、コンロやレンジ・オーブンなど基本なものは残ると記されている。
友達カップルが、使用しない洗濯機と乾燥機、dishwasher、ベットをくれるといってきている。そして、義理妹も使わなくなった冷蔵庫をくれるといってくれている。


予算ぎりぎりな二人なので、こういった要請は初期費用削減と言う意味でたいへん助かる。

でも、CとSがとても羨ましい。

そうやってたくさんの人が助けてくれることには感謝したいけど、やはり自分が選んで納得したお気に入りのモノを置きたいという願望が沸々を湧き出る。

もともとインテリアとか家具とかキッチン用具とか見るのも選ぶのも大好きで、やっと自分のお城ができて、自由に気に入ったものを選んで囲まれる生活ができるようになったのに、それが、テンデばらばらの寄せ集めでセンスの欠片もない家だなんて!

と考えるだけ、涙がでるよ。

(注:自分にセンスがあるわけではないが・・・)


ヤツにぶちまけたら、

「仕方がないでしょ、お金ないんだから。もっと現実感を持て。」

と、あっさり返されてしまった。

そんなことは、わかっているけどさぁ。。。。(いじ、いじ)


家を買おうと模索している間、なんどか新築の家を買うチャンスもあったけど、新しいhousing estateは大体市内からかなり遠かったりして我々の対象外だった。

結局、何を取るか、ということである。

1年ほど探して納得のいく中古が見つからなかったという、ArtisticでちょっぴりPerfectionist気質のあるS。だからCとSは市内から遠くてもはじめから自分たちで選べる新居を選んだ。

と、いうことである。


そんなことはわかっているのであるのだが。
昨日の日記最後に書いた「価値・判断基準のゆらぎ」。
実は続きがあって、「・・逆に自国にいるなら自信を持って対処できる場面なのに、外国にいるというだけで自分の判断基準に迷いがあったり自信がなかったりしてどうしていいのか分からなくなってしまったり、居心地が悪くなったりすることもあるようです。」
となる。


自分が臆病者だとは思わないけれども、
自己分析すると、自分は末っ子で兄弟の経験を見て育っていたわけで、未経験のことは、まず「真似」をすることから入り、徐々に自分風にしていっている。

この国に来て、結婚式にせよ、仕事にせよ「真似」をする対象がなかったからなんとなく自信が持てなくて臆病だった。

あいるでの結婚式のしきたりとかも、
教習所以来うん十年ぶりのマニュアル車の運転も、
仕事上の英語での電話の応対も、

ずっと自信が持てなかったことが、何かの拍子に出来るようになる。

たぶん、ちゃんとできたことなんだけど、異国にいることで最初から「真似」する対象がない=できない という自己暗示をかけていたのかなと思う。

しなくてはならない環境というのが一番手伝っているが、

結局はやればできる、ということですね。
まだ私はこの国にきて8ヶ月である。
仕事を通して知り合った日本人の中には10年近くこの国で生活している人もいる。私なんかペーペーどころか、ぺ、である。

やはり長く異国にいることで身に付けるものは、言語だけではなく、異言語と異文化をネイティブに持つ人たちに囲まれ、自分らしさや自尊心を保持していけるような心術なのだろう。

言語学の分野でよく知られている学説で、外国語話者の態度に関して、言語習得の時期として、メインの国の言葉や文化・人などずべてが素敵に見える「ハネムーン期」、
メインの国に関していろいろと反発を抱く「反発期」、
最後に、メインの文化や言語に適応しつつ、自分の母国の文化もポジティブに取り入れ、自分のNon-nativityも受け入れた上で、新しいアイデンティティを構築する「中和融合期」へと移行する、
とあるHPにあった。
各時期は段階ではなく、徐々に外国語話者のいる環境や性格によって徐々に移行し、最終的に「中和融合期」にいることが理想的なのだそうだ。

ある日本人の女性が、仕事上のことであるが、違うものは違う訂正するまで何度でも問いただす、という態度を目のあたりにした私は、ちょっと引いてしまったが、それは彼女がこの国で学んだ護身術であり、処世術なのだろう。
確かにこの国人は日本人に比べて、仕事においてのマナーというかモラルが欠けている。そのせいで自尊心を傷つけられたりしたこともあったけ。

それなのに、人が一言文句をいっているのを聞いたりすると「そこまでしなくても・・・」とか思ってしまうし、「ちょっとそれは違うんじゃないの?」ということも丁寧にどちらかというと遠回りに表現してしまう。相手が間違ったことをしていても、納得がいかなくても、どっかで妥協してしまう。

やさしい過ぎるのか、弱いのか。

『NO』といって相手に気を悪くさせるのが怖いのか。

それに分からなくても聞き返せないこともまだ多い。

本当に、ぺ、である。

その日本人女性は、どんなに相手を強い言葉で攻撃しようと、ことが終わればその相手とも何もなかったかのように普通に笑って話している。

ルーズな態度を取られても、モラルのない奴らに遭遇しても、自尊心が揺さぶられない強さを身に付け、そして、スマートにさらっとカウンターパンチを食わせるくらいの自信と冷静さをいつか身に付けられたらいいなと思う。

自分が最終点の「中和融合期」へ到達するかのどうかはわからないけおど、なんとなく思春期の自分作りに似ているような、いないような。そんな感じ。


*********

上記抜粋したHPにて、

(以下抜粋)
『異文化で暮らすと「価値・判断基準のゆらぎ」が起こることもあるようです。
他の国、違う文化に来たという気持ちから、本来の自分の文化の判断基準までスポッとなくなって、自分の国でもその国でも当然失礼であるようなことを平気でしてしまったり・・(省略)』

そこのあなた、「いるいる、そういう奴」と、うなずいちゃいませんでした?

暇じゃないのよ。

2004年8月16日
日曜日の夜、義理妹夫婦にもお世話になっているし我々も家でまったりしたいということで、義理妹の子供のベビーシッターを買って出た。

義理妹夫婦を近くのパブまで送り、その後海賊版DVDのFinding NIMOを子供たちと鑑賞。さすが海賊版、途中で音は切れるし画像は乱れるし、楽しむどころかストレスが溜まりそうだったので、中盤あたりで断念。

わんぱく盛りのC(5歳男)とJちゃん(9歳女)を寝かしつけ、その後はヤツとダラダラ話しながら、週末は終わった。



そして、本日。
義理妹夫婦が友達と外で会うことになってしまったため、またもベビーシッター。
夜だけの数時間なので別にかまわないのだが、昨晩はヤツがいたのでCが騒いだりダダを捏ねたり、Jが困ったことがあってもなんとかなったのだが、今晩は私一人。

基本的にJは、もうすっかりお姉さんなのであまり手がかからない。たまに、困ったことが起こるとプチパニックに陥るぐらいで、あとはほっといても問題がない。楽ちん。

しかーし、わんぱく盛りで好奇心旺盛のCは、じっとしていられない。変に頭がいいので(悪知恵が働く)、放っておくと何をしだすかわからない。納得のいく答えが聞けないと、相手を質問を止めにするし(これが一番困る)。
でも、昨日はなぜかオリンピックの体操に興味を抱き、私と一緒に真剣に観てた。相変わらず「なぜ?なぜ?」攻撃は止まなかったが。

就寝時にCが、Jと一緒に寝たいだの、義理妹夫婦の部屋で寝たいだの、言い出した。ダメっとも言えなし、義理妹夫婦が帰ってきてベットにCがいたら、どっと疲れるだろうなぁ、やっぱりCのベットに強制的に寝かすべきだったかしらぁ、なんてことをいろいろ考えてしまった。

まぁ、考えている最中に寝ちゃったけど(笑

週末2

2004年8月15日
義理父の毎日の日課は、海で泳ぐこと。

あいるの夏は、20−25度前後。
あいるの冬は、5−10度前後。

意外と冬は寒くないのよね、

けど、

泳ぐか、普通。
それも、ウエットスーツじゃなくて、水着だけで。

「最近、海からあがっると手先が痺れて・・」と義理父。

そりゃ、凍傷の一歩手前でっせ・・・・

昨夜、一緒に泳ごうと誘われたが、水着ないし、あたしゃ凍えると訴えお断り。

私もいつかこの国の気候に慣れるような肌になって、海で泳ぐのが平気になる日が来るのかしら・・・(汗
週末婚になってから、2度目の週末です。
今回はヤツがこちらまで来てくれる番。

飛行機で昨日の夜中につき、月曜日の朝一番の便で戻るってそのまま仕事へ行くという、スケジュール。月曜日は辛いけど、丸2日間週末を一緒に過ごせる。

時間的に余裕があると、なんだかうれしい。それに加え晴天。

朝から近所のできた巨大テスコへ行き、昼間はドライブしがてらダブリン山の中腹にあるPowerscourtという国立公園へ行き、Glendalough(グレンダロック)という湖を散歩し、夜は義理父と飲んだ。
なんか普段コークで過ごす週末より充実してる。
こういうの、結構好き。
バタバタと忙しく過ごすのは好みではないが、こうやって朝から出掛けると、とても得した気分になる。

半年だけどずっと一緒にいて、それが普通で、今こうやって週末しか会わないっていうのは、関係がとても新鮮でいられる。限られた時間だから、分けのわからない喧嘩もしないし。

そんな関係に対して私はヤツに
「なんか、おいしいどころだけ取ってるって感じじゃない、私たち?」
という疑問を投げてみたが、

「結構辛いけど、この状況」

と、いう返事。

うむ。今はおいしいところだけ頂いておこう。

13日の金曜日

2004年8月13日
だね、っていうとなんか古い?

とりあえず、今週から事務所で一人働いている。
大きな問題に直面することもなく、なんとかこなしているかなと自負してみたり。
仕事の合間にネットして、メールして、日本の友達と親に電話までしちゃったりして(汗

今週末はヤツがこちらに来る。

楽しみだ。
気が付いたら結婚して丁度一ヶ月。
せっかくだからfirst month anniversaryでもしたいところだが、


実は、現在単身赴任中のグリパン。


先週からテンプで働き始めております。


今週末は私が車でこーくにもどり、来週ヤツがだぶりんにくる。

そんな感じで週末婚が始まったております。

2ヶ月弱の短期なので、どうにかがんばります。
これも、家のため、自分のため・・・・・

グリーンカード

2004年7月27日
この国にはアメリカのようなグリーンカードってないのだけど、いわゆる外国人登録カードを「グリーンカード」って呼んでいる。

marriage certificate のコピーを持って空港で入国審査時にビザを貰おうと思っていたけど、なんだかんだ言われ、結局市内のイミグレーションへ。
正味5分ほどで、5年のビザと「グリーンカード」を貰った。

なんかmarriage certificateを貰った時よりも、興奮してしまった。
これで、あいる人と同じ待遇を受けることができようになりました。

結婚式その後

2004年7月25日
アルアルさんが、いろいろと書いてくれたので私から状況を説明しません。が、アルアルさんが寝てしまったあと何が起こったか・・・・知りたいでしょうぉぉ。

ほとんどの日本人客が部屋に戻ってしまった後も誰も気にすることなく、パーティは続きました。
12時頃last songだからとベストマンのCに呼ばれ、ヤツと二人ダンスフロアへ。

曲は、You never walk alone.

バンドリーダーの粋な計らいで,

二人だけじゃないよ、
みんな側にいるからね。

そういう意味を含めて、友達が囲んでくれた輪の中心でラストダンス。

その後、みんなで作ってくれたアーチを往復し、けりを入れるひとパンチを入れてくる人もいたけど、みんなに暖かく人生の旅発ちを見送ってもらった感じ。

一連の儀式(?)が終わった後、生バンドは終了したがDJ入りました。これも式直前で急遽DJを入れてディスコにしようと決めたのだが、入れてよかったわ。

もう誰も彼も構わず踊りまくり。
独人のSちゃんは靴を脱いで、もう走り回ってたし。野生児。

そして、どの地点で行われたか定かではないのだが、ブーケトス。
日本人招待客が寝静まった後になってしまい申し訳ないけれども、実はすっかりブーケトスの事を忘れていたので、急遽やることに。

独身女性総勢私の後ろに並ぶって、なんか気持ちよかったりして。
天井があまり高くなかったので、ブーケが天井に着かないように気お付けてトス。
キャッチしたのは、日本人男性群お気に入りナンバーワンを獲得していたC。素晴らしいダイビングキャッチを披露してくれました。彼女見た目はとても大人しそうだけど、元バスケ部現在女子サッカー部キーパーという活発な女性。
なんとなく妥当な結果かな。。。

DJは2時過ぎに終了。それぞれ部屋に戻る人もいたけどほとんどがレセプションの側の暖炉のある部屋に集まり、歌い始める。
ヤツも歌う。私も歌わされた。誰も彼もが歌う。どこからかギターを借りてきた人もいた。

私たちは3時半頃部屋に戻ったが、どうやらみんな5時半まで飲んで歌っていたらしい。

**********

市内から遠く離れた小さな村でやった披露宴だったので、当初はみんな安全に時間通りに到着するかとか、無いもないので退屈しちゃうのではと心配はあったけど、小さい村だっただけに何処へ行っても知り合いに出くわすという、なんとも不思議な感覚を体験できた。
結婚式は名目で、その後はみんなそれぞれ楽しい週末を過ごしていってくれた。

なんか準備の割には、あっという間だったし、あまり良く覚えていない。
写真を見た人からは、「花嫁笑いすぎ」と言われたけど。笑顔で当日を過ごせたってことだからいいの。それに、

すましてしる私より大笑いしている方が私らしいでしょ?

私電

2004年7月24日
注文したブツは、無事届きました。

こちらで厳重なる検疫をした後、送付します(笑

キューバ

2004年7月23日
帰ってきました。
昨日(21日)夕方。

フライトは8時間ちょっとだったけど、gatwickからcorkまでのフライトが一日に一本しかないので、6時間空港で待ち。
ロンドン市内まで出かけたいかったけど、正味4時間(チェックインの時間を考えて)且つ荷物を抱えて、では楽しめないだろうってことで、空港構内でゾンビのようにフラフラしていました。

いろいろ書きたいが、そのうちアップします。

とても興味深い国だったよ。

これもそのうち。

すげー、かっこいい人も発見。というか、再発見。ぐふ(ミセスだってば〜。)

さっさ、サルサ

2004年7月15日
ホテルの余興の一つにサルサレッスンがあったので、参加してみた。
しかし、一緒に参加していたキューバ人スタッフの女性たちの腰の振りをみて断念。一生懸命真似したけど、ヤツには、ロボットみたいだったと言われる始末。

あの腰と穴のフリフリは、まねできません。
女の私から見ても、超セクシー。

ハバナ一日ツアーの昼食中、日本人ツアー客に遭遇。
突然バンドが曲を奏でだしレストラン内はとても賑わいだし、日本人客がサルサを踊りだした。
それを観た同じツアーに参加していたえげれす人及びイタリア人は驚いていた。かなりの上級者たちだったから。

そして、日本人男性がサルサを踊っているのをはじめて観た私も驚いた。

サルサ踊れると楽しいかもなぁ。習いに行こうかなぁ。
あのキューバ人の腰の振りができるようになりたい〜。(←無理)

Cuba, Cuba and Cuba

2004年7月13日
まずえげれすのGatwickへ。コークとGatwick間は一日に一本なので、前泊しないとCuba行きの飛行機に間に合わない。
早朝、SFから結婚式に来てくれたRちゃんをタクシーにのせ(見送りできなくてごめんねぇ・・)、その後しばらく寝て、前日に帰国するはずだったが飛行機の遅延で乗り換えが不可能になりもう一泊滞在していた友達のYちゃんと雑談。Yちゃんは私にも一緒に来て貰いたかった様子だが、ヤツ一人で空港に見送っていってもらい、私はその隙に銀行や薬局や郵便局やらと走り回った。

そんなこったで、式数日前から猛烈に忙しかったが、これでなんとか全てから解放されそしてホリデーへ行くことが出来た。

Gatwickでは、なかなか感じのよいB&Bに泊まることができ、またえげれす滞在経験のない私には、何もかもが珍しく(といってもアイルランドとそんなに変わらないんだけどね)、なんか興奮しちゃったよ(笑

さて、翌日Cuba行きのエアバスは満員御礼。ひとつ文句を言えば、飲み物が有料でスターリンとドルしか使えなかったこと。まぁえべれすの航空会社だからいいんだけどさ。
9時間のフライトは私にとっては無しに近い。あっという間にCubaに到着。Cuba本島の北側に位置する小さな島の空港はやはり小さく、空港内も満員御礼。イミグレーションでオフィサーはウインクして迎えるのだが、その後は無言でかなり厳しい審査を受けた。審査終了後もウィンクで見送ってくれたのだけどね。
なぜか荷物チェックもあり、X-Rayを通した私の荷物のなかに2つ機械機器を発見。一つは携帯で、もう一つをみた強面のオフィサーに「なんだこれは」と質問され、思わず必死に「日本語から英語に通訳する機械だ」と言ったら、なぜかそこに居たオフィサーたちに微笑まれてしまった。

ホリデーはホテル代にホテルでの食事から飲み物まで全て含まれているall inclusiveという、なんとも優雅な一週間だった。それでも、毎日ホテルのプールや海で遊んでいてもつまらないので、一日はハバナへ行くツアーに参加し、後は砂糖工場を見に行くツアーとモータボートでシュノーケリングに行くツアーに参加した。
計560$。
かなりの出費です。

さらにこの国でもtip制度。代金の何パーセントとかではなく1$とか2$とか心付け程度でオッケーなんだけどもね。これも意外と痛い出費です。塵も積もれば山となるって感じ。

レストランで食事している最中に勝手に寄ってきて歌を歌ったと思えば、チップを要求、またCDを売りつけてくる始末。

共産主義で全て均等に支給されているけれども、それに加え自分たちで労働して生活を養っている。給料もツアーガイドで月50$と私たちの感覚から比べたらとても安い。それに、誰も彼もがよい職に就けるわけでもなく、観光客相手にtipをねだる人は多い。また何もしなくても、beggingしてくる人もいる。

キューバ人はとても暖かい。純朴な人が多いと思った。そして観光が重要な産業であるため、観光客には一番気を使うっているのかなと感じることが多かった。共産主義といえば、北朝鮮のイメージが強かった私。そのため、観光場所は限られ制限を受けるのかと思っていたが、かなり緩かった。

裕福な国とはいえない。人々はぼろぼろの家に住みほろぼろの車に乗っている。だけれども、この国にいれば教育は無料・病院は無料、基本的な生活や老後の心配はない。それでもまだこの国を脱出したいと思っている人はいるのだろうか。

私は1週間の滞在のいち観光客に過ぎなかったから、本当の姿を知らない。
でも仕事の心配やローン返済、年金の心配している私たちの生活を彼らより裕福だといえるのだろうか。と、そんな事を感じさせられてしまった。

結婚しました。

2004年7月9日
やっとこの日が来ました。

4ヶ月前からせっせと準備をし、いろいろな心配をしてはヤツとケンカになったが、それはこの日のこの瞬間の為だったのだ。

十分に準備をしたつもりだし、もう後は野となれ山となれの気分で、少々時間に遅れようが何があろうが、心配せず、楽しく過ごそうと決めていた。

「花嫁が楽しんでいれば、みんなが楽しいんだよ」
という言葉通りに。


お世辞かもしれないけれおども、口々に、いい式だったよとか素敵にパーティーだったを言われ、なんだか感無量。

そして、一緒に楽しんでくれたことにも感謝。


日本から来てくれた家族や友達だけでなく、お祝いのメッセージを送ってくれた友達や電話をくれた友達、みんなに感謝したい。
そしてヤツの友達やたくさん協力してくれた同居中の友達に、ありがとうを何回いっても足りない。

この国で生活することにとても勇気づけられた。

これから始まるのね。

どこにいたって、自分が楽しければそれで良し。

three days to go..

2004年7月6日
とうとうあと3日。
準備はだいたいできた。
明日には日本から友達も到着する。

本日、
荷造り
beauty salon

明日は、
ヤツのスーツPick up
姪っ子のドレスPick up
指輪Pick up
既にアイルランド入りしている日本からの友達と会う。
夜、日本からの一行を空港にPick up
宿泊先に送って、ご飯を食べさせ、飲みに行く。

明後日、
ドレスをPick up
favor giftをPick up
空港に友達をPick up
食事&飲み


こんな感じ。

友達に会える、家族に会える。
楽しみだ。

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