復活

2003年12月19日
3食昼寝付きの優雅な生活から、通常の生活へ。


たった10日間だったけど、シャバの空気はすっかり冬。


順次『愉快な入院生活』日記を更新予定。


みなさんの日記にも追いつかないと。

入院生活1

2003年12月10日
12/9

9:30 チェックイン
11:00 麻酔科の外来検診
12:00 入室
16:30 入浴 
陰部剃毛(看護師に「手伝いましょうか?」と言われるが、さすがに自分でやった。でも、その後チェックされたけどね。ちゅうるちゅうるです。)

18:00 夕食
21:30 ヤツに電話。やけに話しが盛り上がる。
22:00 就寝
こんな早く寝ることがないので、寝付きが悪かった。

−−−−−−−−−−−−−−


手術当日


前日の深夜から食べたり飲んだりできなくなった。
そう言われると、飲みたくなるし食べたくなるのは人間心理。
その夜の夢の中で、もりもり白米を食べていた。


7:00 起床 食事は無し
8:00 手術着へ着替える
10:30 オペ室へ運ばれる
ベットごと運ばれて、なんだか照れくさい。でも人生で初めて、エレベーターを寝そべった状態で乗った。結構気持ち悪い。


11:00 オペ室にて
着ていた手術着を脱がされ、ほんとすっぽんぽんで手術台の上へ。台は思ったより横幅が狭かった。太った人用とかあるのかしら、と呑気の考える。
背中に硬膜外麻酔をいれるチューブを挿入。
それをしてくれた若手麻酔科医、私の体を押さえている別の麻酔科医から指導を受けながら挿入してる。かなり痛くて変わってほしかったけど、新人を育成する為だわ、と変なところで余裕をかます私。
この背中から入れるチューブ。どんなに太い管を入れられるのかとかなりビビっていた私。実際はすごい細いんだけどね。


なんとかチューブ挿入が終わり、点滴の管から何か入れられたけど、勢いが良すぎて「いたーい」と騒いだ。でも数秒後、なんだか目が回ってきた。マスクを当てられ、一呼吸で眠りに落ちた私。気絶したのが先か、麻酔が効いたの先か。


「グリパンさーん、おきてくださーい」の声。
「んだよぁ、起こすなよ」とムッとする私。
眠りに落ちてからあっという間だった。夢観てたのに覚えていない、絶対楽しい夢だったに違いないはずなのに、くやしい。

オペ室入室から約2時間で病室に戻った。

意識が完全に戻ってからは不思議な気分だった。何処も痛くないのに(硬膜外麻酔を入れているから)体が動かない。
血栓を防ぐ為に、足にはマッサージ器がついている。点滴もついている。心臓モニターもついている。
なんだか、大事だ。
でもそんな状態で、「寝返りをして体の位置変えてね」と言われても。難題だ。
その夜全身麻酔の副作用として微熱がでた。

ふっふっふ

2003年12月9日
とうとうやってきました。
早いわね〜。
そうです、明日から入院です!
あいる行きを決めた事よりも、「えらいこっちゃぁ」という気分です。

でも、もうあとはマグロのように寝ているだけしかないので、妙に落ち着いてます。
今更ジタバタしてもね。


入院体験のある友達からは、「この際だから楽しんだ方がいいよ♪」などという、不謹慎(?)なアドバイスもあったし、痛いのが凄いいやぁって別の友達にいったら、「その痛みはその時だけだよ。その痛みは直る過程なんだから、大丈夫」と温かい言葉も貰った。

ありがたやぁ。



次回は20日以降に更新予定です。


20日に退院して、29日にヤツが来る。
そんな年の瀬。
笑ってしまいます。ははは。



徒然

2003年12月6日
最近の言葉を2つほど。

−−−−−−−−−−−−−−

とある飲み屋で働いている遠い国からやってきたウェイター君の言葉から。


「日本人の男の人は、弱い女の人を守ってあげようって思うけど、外国人は違うよ。弱い人を捨てて新しい強い人に乗り換える」


つまり弱い人っていうのは、相手に依存したり甘えたりして守って貰おうとする人のことで、強い人とは精神的に自立できる人の事を指す。


別に外国人男に限らず、男は精神的に自立できない女は敬遠するだろう、重いし。


一緒に飲んでいた連れは「捨てて乗り換える」って言葉に過剰反応していたけど、私は、上手い表現だと思うし、座布団上げようかと思ったわ。



−−−−−−−−−−−−−−

友人(女)の言葉から。
「話だって面白い、話題だって豊富、夜の方も満足させる自信あり、そして鍛え上げられたこの体。なのになぜ男ができない!!」
自分に自信を持つことは良いことです。
頑張っていきましょう。

胸のうち

2003年12月5日
結局、情に流されている自分が一番悪い。

のよねぇ〜。


無駄な抵抗はもうやめよう。
あいるへ行ったらそれからも少しは解放されるのを願って、流れるままに身を置きます。


はい。




試写

2003年12月4日
友達が映画の試写会に誘ってくれた。
「Bruce Almighty」

久しぶりにジム・キャリーを観たけど、やっぱりおもろいヤツだわ。それにしても、ちょっと歳を取ったなぁと思ったのは私だけかしら。

そう言えば、土曜日に東京ディスニーランドに誘って貰っていたのに、返事出すのが遅くてダメになってしまった。
月曜日に返事をメールしたのに、その後音沙汰がないなぁって思っていたの、でもフトもしかして・・・と思い、送信履歴をチェックしたら、送られてないし。
私のミスだわ。。。
残念。。。。
今、クリスマス向けに綺麗だったんだろうに・・・・
ぐぞーーー。

気を取り直して、土曜日は飲みに行きましょう。



あらまぁ

2003年12月3日
昨日今日とやっとお天気になったので、大掃除を始めました。

窓やら床やら、やっては休憩すると言った感じであまりはかどらないけれども、今の内やっておかないと。


出発の準備もついでに行っています。
出発に当たって部屋もアル程度片づけないといけない。
かなり洋服とかフリマで売ったけれども、本や細々としてがらくたがたくさん部屋の隅にある。無視したいけど、無視もできない・・・・そんな広い部屋じゃない・・・・
うううう〜ん。

そうえいば、叔母から電話があった。母親が私のあいる行きを話したらしい。
事前に母親とはその叔母だけには言っておこうということにはなっていた。
父が亡くなってから、父方の親戚にはいろいろ心配してもらっているし、御世話にもなっているから、母親としても私のあいる行きに関してどう伝えていいのか正直困っていたので、叔母だけに伝えることにしたのだ。
父の妹である叔母なら母親の心中も理解してくれるし、父方の五月蠅い親戚連中からの好奇心の目や心配する声がその叔母がいることでクッションになってもらえる。



叔母もはじめは自分の胸の内に留めとて置こうと思ったらしいが、時間がたってやはりうれしさあまり自分だけでは破裂しそうだと言うことで、「やっぱり、私の娘(従妹)に話してもいい?伯父さん(家長)に話しても良い?」とお伺いを立ててきたわけだ。
親戚仲は良いけれども、やはり親戚。田舎の人たちだし、どういう声が上がるのか想像はつく。


まぁいっか。
叔母が『あまり大袈裟にしないで、ポロッと言ってしまった』ぐらいにして置くから、って言うし、こんな事で駆け引きして後々尾が引くよりいい。
それに、もしこのままあいるで結婚ってことになんてなったら、何も知らない親戚方にしたらあまりにも電撃すぎるわけで、それでは母親の面子も立たないだろう。

御世話になった親戚方々に恩返しできるのは、私の花嫁姿よねぇなんて思っているけれども、まぁ、その辺はご理解頂きましょうかね。


なんて、ちょっと気の早い話だけど。




忘れちゃったよ(汗

2003年12月1日
週末日記にアクセスできなかったため、週末に書こうと思っていたことを忘れてしまったよ(汗


−−−−−−−−−−−−−−

とりあえず、怒濤の飲み週末は今週末も当たり前のように行われていたわけで、お酒のの量はさほど多くはないけれども、毎晩午前様。


−−−−−−−−−−−−−−


11月初め頃、手術を受けるのを決めたのでそれ以降まともに仕事をしていない、っていうか出来ないかった。それはそれで、仕方がないし、その分かなり切り詰めた生活を送っている。
それでも、事実を知らない人からは「実家にいるから仕事をしてなくても平気なんだ、優雅なものよね」なんて目で見られていて、正直気分悪い。
確かに実家よ、パラサイトよ。
だからなんだってんだ!実家じゃ実家でいろいろ気苦労もあんだ!!
と、ムカムカするけれども、それを言ったところで理解して貰えないことが分かっているから口には出さない。

人は人だろう。


−−−−−−−−−−−−−−



そう、最近気が付いた。
やはりヤツの国へ行くから、会う人からいろいろとその国について質問される。
そうゆう機会が増えたからか、話の端端に「あいるでは・・・」とかよく言ってることに気がついた。
そんな自分がイヤ。
よく人が「どこそこではどーだった」とか言うのを聞く。それはそれで聞いていて楽しいけど、その回数が多くなるほど、段々聞いていてうざったく成ってくる。
もちろん会話の中での場合限定だけどね。

それと、今度えげれすに留学する友達と2人で競いあっているかのように「えげれすではどーた」「あいるではどーだ」とか言い合っている気がする。
冷静に成って考えると、アホらしい。
違ってあたりまえだ。
お互い外国に住むという共通点はあれども、国が違えば環境も違う。制度も生活水準も違うのだから。


文化人とはどんな人をいうのか?という問いにある寺の和尚さんは「違う文化を持った人と会話が出来る人」だと言ったのを思い出した。違う文化とは異国の人であったり別の年代の人であったり。

めがね

2003年11月27日
今日は、メガネを新調した。

普段はコンタクト使用なので、家用で。

最近のメガネは安いね。フレーム・レンズ込みで5000円だった。
もちろん検眼もしてくれる。
検眼してくれたお兄さんは、とっても丁寧なトークをするので、思わずこちらもマイルドな話し方になってしまった。
たくさん種類があるので、選ぶのに大変だった。いろいろ掛けて鏡で自分を見ても正直似合うのかわからない。お店の店員さんは意図的なのかみんなメガネを掛けていたのだけれども、それを観ていると「これも、あれも」とどれも良く見える。欲張りになるわね。



30分くらい悩んで、薄い赤のフレームにした。
似合うかどおうかは置いといて、普段掛けるわけじゃないから、いいやちょっと遊んでみましょう、ってことで。


だけど、私メガネあんまり好きじゃないのに、何故新調したんだろう、これこそ浪費なのではないだろうか、とフト思う。


でもいいかね。
なにはともあれ、新しく買った物ってそれだけでなんかワクワクしちゃう。


Longweekend最終日

2003年11月24日
本日は友達の結婚披露宴&2次会です。


披露宴
外苑前のKI○CHI ITALIAN
11時過ぎに着いたら、建物の前は凄い行列。
「え?披露宴の出席者がならんでるの??」と思いきや、披露宴会場は2階で普通にオープンしている1階で食事するためにみんな列んでいた。
そんな行列を横目に、ふふ〜んと入り口へ向かった私。優越感を味える瞬間よね。

披露宴はこじんまりしたとても温かい雰囲気で行われ、ITALIANのフルコースも満喫できた。
突然、スピーチお願いしますとか言われて、一瞬怯んでしまったが、どうにか乗り越えられたのは経験の賜か。いつも突然のスピーチをお願いされるのよね。
まぁ、事前にお願いされて前に出て喋るより緊張しないで済むけど。

披露宴が終わり、5時から2次会。
披露宴の出席だけでかなり疲れたけど、2次会は仲間も来ていたのでかなり気軽だった。
そして、2次会でお約束のビンゴでは、なんとMD Playerが貰えて超ラッキー。
丁度壊れていた、どうしようかなぁって思っていたところだったのよね。
これで、2次会の会費の元を取った感じで更なる喜びが・・(いやしいくてすみません・・・)


久しぶりに後輩とかにもあって、月日が流れたのねぇと実感。
自分が30代であることよりも、後輩が「いやー今年30歳になったんだですよぉ」とか聞くと、凄い歳月の重さを感じる。
そうよね、みんな結婚して子供もいて、いい大人なんだね。
「グリパンさんは結婚は?」なんて聞いてくる奴に
「今世紀中には子供5人くらい産んでるから、心配しないで」と答える私。そんな私に向ける目はちょっと冷たかったけど(汗


−−−−−−−−−−−−−−
今年最後の3連休は、怒濤のように過ぎていきました。
長かった。
楽しかった。


けど、眠かった・・・・



初めて

2003年11月23日
朝から日雇いのバイト。3時間だけだけど、朝からはキツイ。
お昼も付いて、終わったのは2時過ぎだった。



その後、友達と六本木で待ち合わせしお茶をしてから、初めて六本木ヒルズへ行った。



時間があまりなかったので、裏のほうだけだったけど、ミーハーな私は建物を見ただけでお上りさんメーターが振り切りました。
写真取って、建物の中を覗いて、『へー、ほー』と口をだらしなく開けながら上ばかり見ていたわ。

ほんと、時間が無かったのでゆっくり見られなかったけど、次回はヤツが来たときにでもゆっくりデートしよ♪




明け方眠りについた私は、夕方まで爆睡するつもりでいた。

しかし、10時過ぎ、ヤツから電話が。
先週声を聞けなかったから、うれしかった。けれども、頭が働かない。というか、最近英語を喋る機会がめっきり減っているので、頭を英語モードにするのに時間がかかる。
話してることは理解できても、自分が言いたいことが上手く出ない。時に言っていることも分かんない時があり「アイ キャンノット アンダースタンド イングリッシュ〜 ああああーー」と叫んだら、思い居きり笑われた(汗


30分くらい話して電話を切り、さてもうちょっと寝ようかななんてお布団に戻るが、脳味噌フル回転した後はそうそう寝れない。それでも2時間くらいベットの中でウダウダしていたけど、やっぱり眠い。

しかし本日ラグビーワールドカップの決勝戦なので、また昨日と同じPUBへお出かけしなくてはならない。約束しちゃったし(涙
眠いのを我慢して行ったけど、行ってよかった!素晴らしい試合だった。
ラグビーはこのワールドカップからちゃんと観るようななったのだけれども、こんなに面白い試合でいいのか!と思うくらい、填ってしまった。
ラグビーとフットボールの試合では観客の反応の仕方が違う。
ラグビーの試合だと、さばえいさんが日記で書かれたいたように、マジで観客は『Kill him』 とか叫んでる。それに、『おおおーー』とか『あああーーー』とかの感嘆の声も地響きのように低音。
試合だって、フットボールとは違う(当たり前だが)。大男たちが何処へ転がるが分からないボールを必死に地べたを這い蹲いながら追いかける姿は、なかなか笑えるものがあった。
結局延長戦終わり数秒の所で、Sir ジョニー(勝手にSir を称号しました)ドロップゴールで逆転勝利を勝ち取った英国。
一緒に観ていた英国人がみんなして「”俺の”ジョニーに一杯やってくれ」と叫んでいた。
ジョニーは何杯ただ酒が飲めるのだろうと、冷静に数えていた私は、豪サポーターでした。

−−−−−−−−−−−−−−

その夜、ラグビーワールドカップの熱が冷め止まぬまま、深夜はフットボールプレミアリーグ観戦です。
今年のチェルシーは強い。今のところアーセナルにしか負けてないのかな?
でも、いくら今年のチェルシーは強いと言っても、やはりチェルシー。
心配です。
何が起こるかわかりません、まだ半分ですから。
だから、みんな願を掛けている。
私は、ユニホームを着ると負けるので絶対に着ないし、友人は勝っているうちはユニホームを洗濯しない。そして、別の友人は何枚かユニホームを持っているけれども、勝ち続けているユニホームしか着ない。
遠い国から願かけても仕方がないが、やってます。
スポーツ三昧だった土曜日。楽しかったけど明日は朝から日雇いバイトだぁ。。。

無職の私には、週末も祝日も関係ないが、飲み友達とはか仕事してるから、やっぱり週末は楽しみ♪


今夜はN美さんと飲みです。
私がいつも行っているPUBへご招待しました。

9時頃からそのPUBへ。珍しく混んでいたけれども、まぁ金曜日だからね。
でも10時過ぎにはカウンターに常連しか残ってなかった。
来る人来る人に挨拶している私を見たN美さんは、「やだーー、そんなに来てるの(笑」とその度に爆笑。
N美さんも隣りの別の人と話してたし、レディースナイトで安かったのがんがん飲んでたら気が付いたら1時過ぎ。N美さんは電車がなくなってしまい、近いからタクシーにしようかなぁって話をしていらたら、後ろで飲んでいた常連君のお友達が『一緒に飲もうよ!』と声を掛けてきた。
傲ってくれるし、それならってことでJoin.
そんな感じで、彼らが帰っていったのは4時過ぎ。お店の人がまだやることあるから、いいよって言ってくれたので、N美さんの電車の始発が始まるまでダラダラ過ごした。

N美さんも相変わらずのハイテンションだったし、そのPUBも気に入ってくれたのでのんびり楽しい時間が過ごせた。場所もちょっと都心から離れていてあまりお友達を連れてこれないけれども、N美さんのように自分から楽しめる人と一緒だと楽でいい。誘ってくれた男の人と楽しく話してたし、ふふふ。




そして、
明け方帰宅し、長い週末が始まる気配も知らず、深い眠りへと沈んでいった。


どーんとこい!

2003年11月20日
やはり、電話を取れなかった理由は運転中でした。
週末に実家に戻り、日本に働きに来る友達と飲んだんだと。
そこで、卒業した大学で講師をしている人とあったらしく、良さそうな仕事を紹介してもらったらしい。こういった時の行動は驚くほど早く、早速CVを送り12月に面接があるとのこと。


さて、私は何処へ落ち着くのだろう。

ヤツの実家があるダブリンならそこそこ日本人または日本語を使う仕事があるので、私としては地方より有利であるけれども、そうなるとヤツの面接の結果が出ないうちは動けない。
もともと、あちらへ行ってから就職活動をするつもりでいたけど、リクルートサイトで『日本語ネイティブ募集、ダブリン』とか見付けると応募したい衝動にかられる・・・



最初にダブリンに戻るかも知れないことを聞かされたときに「もうちょっと腰を据えて働いてほしいな。次の仕事もつまらなくてまた1年後とかに別の所に引っ越すとかなったら、私の都合はどうなるんだよ。」と正直思った。



ヤツが今の会社に入って1年半。専門職なので給料もいいし、会社も大手なのでキャリアには申し分ないと思う。でもヤツは毎日ルーティンワークのため物足りないとよく話していた。
たぶん私は専門職ではないから、『会社も大手なのでキャリアには申し分ないのだけれども、・・』と思うのかもしれない。
大手だろうが中小だろうが、自分の専門を突き詰めて行きたいと思うのが、ヤツのような専門職の人たちなのかと思う。



私もいろいろと模索しながら転職を繰り返した身分だから、気持ちはよく分かる。
今、ヤツは模索しているのだと感じる。だから現状のルーティンワークが退屈でイヤだから転職したいというなら許さないが、自分が目指したい物があるのなら転職でもなんでもしてくれ。
不平不満を言いながら、何もアクションを起こさない人よりかは全然良い。


そう、おもう。




弱い私

2003年11月19日
どうせ私には駆け引きなんてできないわけで、


メールの一本でも寄こすかと期待していたって時間ばかりたって先には進まないわけで、


鉄は熱いうちに打て、ではないけれども、
心にわだかまっているなんら吐き出さないと消化に悪いわけで、


毎日、ちっちゃいことで悩んでいても、次の日には「どうにか成るだろう」と思えることは決して短絡的でも安易でもないわけで、


大人な諦め気味の気持ちは虚栄ではないけれども、素直な気持ちではなかったと分かったわけで、


でも、攻めるようなメールではなくて何もなかったかのように全然関係のないメールを出した私はまだ素直さが足りないわけで、


いや、足りないのは素直さだけではないわけで、



それを探しながら、直しながら、認めながら、乗り越えて行かなくてはならないわけで、

まだまだ成長中。


がんばろー。





非常に疲れた日

2003年11月18日
今日は「おとぎの国の病院(過去の日記参照)」へ術前検査へ。


予約が10時からで9時40分頃check-in。
主治医にいろいろ同意書の事とか手術の説明を受ける。

その後麻酔科で、問診。
小さいとき全身麻酔を受けたことがあるのだけれども、これが苦しかった。覚醒した時のあの気持ち悪さといったら、飲み過ぎより酷い。
本気でヤダ、トラウマだー。
そう麻酔医に訴えたけどニコニコしながら「人によりますからね」と言われ、その顔には“どちらにしろ、痛みや恐怖心を取るには全身麻酔と硬膜外麻酔をしなくちゃお話にならないよ”と書いてあった。
しかし、いくら麻酔医が子供用の麻酔に関する冊子をくれたって、主治医が「最近の麻酔は甘いらしいわよ」と慰めてくれたって、やっぱりあの覚醒する寸前の気持ちの悪さを思い出すたびに「しまったぁ、受けるなんて言うんじゃなかった」と後悔する。


後悔先に立たず。
仕方がない、成人になって体質も変化したと信じるしかないわ。

尿・血液採取をして、胸のレントゲンを撮り、治療の一環として高額な注射を打って、入院に必要な買い物をして終わったのは1時半過ぎ。


なんか疲れた。
そんで家に帰ってメールをチェックしたら、前ちょっとアルバイトしていた会社の関係の人から雑務に関して問い合わせがあったり、解約した電話のメッセージのことでN○Tから連絡はあったり、、、、、


どっどと疲れた。


どうも私は恋愛に対して不器用だ。
腹立たしい事もあるのに、一方では「そんなことで腹を立てることもないだろう」とも思う。


************


週末だけの電話で、その電話に出ないのはどういうこと?
と、腹立たしい。
じゃ、メールでフォローがあるかと思いきや、期待するだけ損だった。そんなことがあるわーけーがーない。
でも週に一度声を聞きたいじゃないですか、と乙女心がうずく。
お互いあまり「約束」とかするのは得意ではない。それに縛られてしまうから、出来るだけ自由というか、お互いの自主性に任せている部分がある。
週末電話も特別約束をしてやっているわけではないので、電話に出なかったことを攻めていいのか悩んでしまう。


「絶対連絡してくれなくっちゃイヤなの、私」というタイプの女ではないし。
それならその方が考える必要はないのかしら。

別に悪気があってやっているんじゃないのは分かっている。たぶん、運転中だったとか携帯忘れて出掛けたとか、そんな言い訳を言うんだろうなって予測ができる。
だから、私は怒ることよりほとんど諦めている感がある。
でも、こやって悩むくらいならやっぱりそろそろ分からす必要があるのかしらね。
むーん、でもやっぱり予測できる言い訳を聞く為にわざわざメールするのもをなんかバカらしく思える。
ここで、乙女心を優先させるのか、それとも「こんな事でいちいち目くじら立てることもないだろう」と大人な(いや、諦めか?)心を優先させるか。



大当たり

2003年11月13日
ビデオ屋が旧作レンタル半額をしているので、3本ほど借りている。
キューティーブロンド
8人の女
普通じゃない

とりあえず、あまりシリアスな映画や感動する映画を観たい気分ではなく、思いっきり軽めのをチョイス。



この中でも「普通じゃない(原題:A life less ordinary)」は期待してなかったぶん大当たりだった。

ユアン・マクレガーとキャメロン・ディアスのラブコメディー。
2人とも真面目な顔してコメディーしてる(あたりまえ?)。
っていうか、そもそもコメディーじゃなくてラブストーリーのつもりなのかもしれない。
でも、私は腹が捩れるくらい笑った、笑った。


キャメロンの勝ち気な米国訛りとユアンの素朴なスコッツ訛りが役と比例していて、なんかそれだけで笑いが止まらない。

後から気が付いたけど、監督は「トレインスッポッティング」とか「ザ・ビーチ」の人だったわ。ちょっと浮き世離れしているところが、なんとなく納得。

私は「ムーランルージュ」のユアンも好きだけど、この映画で前髪を下ろしたユアンもかわいい・・・・


とんかつの会

2003年11月12日
今夜は高校時代の友達となぜか豚カツを食べようと言うことになり、新宿の高島屋のレストラン街へ。
なぜ「とんかつ」なのかというと。
彼女が、だいたいこの年代の女子とかは小食が多く、がっつり「とんかつ」を食べに付き合ってくれる人がいないと嘆いていた頃、何もしらない私は「○幸いこうぜ!」なんて脳天気に彼女を誘ったところ、いたく感動してしまい、それ以来、「とんかつ」を一緒にできる女友達と喜ばれている。
Best friendの一人だけれども、私がヤツの所へ行くことを伝えたときは「私は誰ととんかつを食べにいけばいいんだぁ」と悲しんだ。
そいう経緯があり今回「とんかつの会」が開催されたわけだけど、プラス今回はまた別の高校時代の友達も合流。Gくんは、長身でスレンダーな体系のわりには食欲旺盛の健康児。その上お米大好きとなれば、ご飯お代わりし放題のとんかつ屋はぴったりだろう。


そんな3人が集まり、とんかつに舌鼓を打ちながらわいわい話も盛り上がる。

ごはん・キャベツ・おみそ汁をお代わりしまくり、腹一杯だ。


気の置ける友達と、べつにたわいの無い話しをしながら食べる食事はいいね。
Gくんとなんか1年に一回くらいしかあわないのに、ギャップもないし、先週会ったんだっけくらいののり。
「最近どうなのよ」なんていう野暮ったい挨拶文句なんていらない。



ふとおもふ

2003年11月10日
今日は特に何もしなかった。
でも、いろいろ考えてしまった。

前々職の人たちと会う為メールを送った。
御世話になった人たちなのでやはり行く前に会いたいなと思って。
そしたら、なんだかあと一ヶ月ちょっとで旅立つんだと改めて感じた。
12月には手術を受けるのでその後はあまり出掛けられないから、そうするとあと半月ぐらいしか時間がない。
まだまだ、だなんて思っていたけれども何もしないでいるとなんだか誰にも会わないで旅立ってしまいそうでちょっと寂しくなった。



「壮行会」と題して飲み会を開いてくれることになったが、なんだか照れくさい。
「直ぐに帰ってくるかもしれないし・・」なんてちょっと思ってしまった私は、まだ心の何処かに不安を感じているのだろうか。
一人の先輩にこの気持ちを告白しようかと思ったが、やめた。純粋に応援してようとしてくれる方々を前にそんな心の迷いは失礼に当たると思ったから。無理することはないけれども、ここは自分自身の為にも多少肩肘はって頑張らなくては。



最近、出不精にも磨きが掛かってしまったようだ。不満は無いが物足りなさを感じる。時間があるから今の内にとたくさんの本を読み映画を観たりしているけれども、そればかりに集中しているから物足りなさを感じるのかな。生活にはバランスが必要なのかもしれない、一つの事ばかりに集中しないでその2割くらいの気力と時間を別のことに費やしてみよう。


そう今の私は完全に停止状態だ。ランダムに日記を読みながら、自らエネルギーを作り出して放出している人は輝いていると感じた。止まっていたら何も変わらないし、何も入ってこない。サボってないで自分から少しずつでもエネルギーを作りだし放出しなければと思う。



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