5月1日の日記

2012年5月1日 日常
「傾聴」

いろいろシンクロしてますね。

私の一番の課題です。

言いたい事がたくさんありすぎるんでしょうか?
自分を認めてもらいたいからなのでしょうか?

どうしても、自分の言葉を優先してしまう。

いや、話が続かなくなる恐怖でしょうか。

人にしてみたら、大して面白くもない話を聞かされるのは苦痛だろうなぁ、と今更ながら不憫に思ったりして。

会話を楽しんでないんだろうなー。

ここ2ヶ月、プロジェクトの一貫でインタビューしないとならなかいから、
人に話させるスキル、磨かないとなー。
やる事たくさんあるのに、はかどんないぞ。



4月18日の日記

2012年4月18日 日常
いい30代を送ったと思う。

将来に関してはNo planだったので、
40歳までに子供を産んだという事は凄い事だな、って自分の人生をもって思うわけです。

毎日ががむしゃらだった、そんな30代だったと思う。



無駄な毎日はない。
ちゃんと結果残してる。
終わりはないけど、
そうやって、毎日一生懸命過ごしていれば、
結果がちゃんと残るんだよね。

なんか
初心に戻った気がする。

40代、新しい事始められそうな気がする。

なんだろう
何かな

見つかるまで、また時間かかるかな。

それも楽しみ





2月23日の日記

2012年2月23日 日常

いい親になりたい、と思ったけど

いい大人になりたい、と思った。


説教をするわけじゃない、
上から目線で言うわけじゃない、

正しい事、間違っている事をちゃんと伝えてあげられる、そんな大人になりたい。



12月24日の日記

2011年12月24日 日常
今のシアワセいついて、考えた。

なぜ、不満なのか。
どうして、満たされない感がいつもあるのか、
どうやったら、気持ちよく人(特に家族)に接する事ができるのか、

まず、専業主婦で居る事が私にとっては耐えられない。
そして、その状況になった事が、私の意思でもあるのに、ヤツのせいにしている事。
同意のはずなのに、やはりヤツの浅はかさに私が負けてしまったという、
悔しさが今でもどこかしら顔をだす。
だからいつも自分が犠牲になっている、そんな気持ちがいつもどこかに芽生えてしまう。

私は矛盾している。
それなら頑張って仕事を見つければいいのに、
仕事がない、とか
子供がまだ小さいから、とか
子供の習い事など手を抜きたくないから、とか
理由を見つけて今の状況から脱出しようとしていない。

満たされない感が波のように襲ってくるときに、いつもこの原点ともいえる原因に帰する。

自分の中に満たされないでカラカラに乾いた自分がいるから、
人にねぎらいの言葉を与えられないでいる。


一生懸命頑張ってくれているヤツや
かわいい子供たち、
毎日問題なく生活できている環境や
健康、
感謝すべき事はたくさんあるのに、感謝できない。

このからからと乾いた自分を潤すすべを見つけたい。







10月15日の日記

2011年10月15日 日常
短いブレイク中、決め事をしておこうと思う。
毎年あっと言う間に終わっちゃうから。。


一日一度はdetectingの練習。


いろいろ考えてリストも作ったけど、あれこれやると自分で自分の首をしめてしまいそうなので、ひとつだけ。

3ヶ月後の変化を楽しみにしよう。





9月22日の日記

2011年9月22日 日常
私も随分と落ち着いたものだ、と思った。

いつもなら、消化不良でなんとなく引きずってしまっていたのに、
今日は話し切った〜って感じ。

いつもと何か違いがあったわけでなく、
私の気の持ち方が変わっただけ。

いままで相手がどう受け取るかや、
相手の反応を気にしていたけど、
受け取るか受け取らないかは相手の都合で、私の都合ではない。

今日の相手は、似た者同士だと思っていたのだけど、
年末に距離感の相違を感じてから、
この人とは似た者同士でも同類でもまったくないんだと分かってから気持ちがスーっと楽になった。
同類じゃないから、私が言ったところで私の期待通りの反応があるわけではない、のだ。

思い込みによって囚われていた考え方に気づいただけで人間関係が楽になるのだから、
私もまだまだだわ。

自分は自分という軸、揺るがず根付いてきたのかな、、、、、、



9月12日の日記

2011年9月12日 日常
人に言いたい事が溜まっている時って
多分自分に向かっているんだろうな。
自分に何か言いたいの、本当は。
なんか抽象的で難しいんだけど、

そう思ったら、独り言も少なくなった。



9月5日の日記

2011年9月5日 日常
人にイライラするときは、それは鏡。
自分も同じなのだ。
結局、自分に帰って来ている。


人の話を最後まで聞かないのは悪い癖だ。
だけど、そうやって誰もが私の話を最後まで聞かないから、いつもなんだか不完全燃焼状態で、気分が悪くなる。

つまり自分に帰って来ているわけだ。

この不完全燃焼状態はきっと過去に関係しているという。
だから考えた。
そうだ、
小さい時に姉から受けた「あんたの話は面白くない」という言葉に傷ついた感情が未だに癒されていないのだ。その影響で私は昔から旨く話しができないから、話のテンポにいつも遅れてしまい、言いたいことも言い切れていなかった。
だから不完全燃焼。いつも後味が悪かった。

どうやったら癒されるのだろう。
そんな事は大した事がないよ、
あなたにはあなたの良さがあって、きちんと話を聞いてくれる人がいるよ。と
あの時の私に言って上げたらいいのだろうか。




とりあえず、人の話は最後まで聞くという努力をしてみよう。
どう変化が起きるのか、楽しみにしよう。





7月31日の日記

2011年7月31日 日常
久しぶりに、本当に久しぶりに、感じた衝撃。

たぶん、独身時代よく一緒に山へ行ったり温泉行ったりしていた友達だったからかもしれない。

うーん、うまく言えないのだけど、
なんだか、すっかり社会から離れしまったなーと。


仕事復帰したい、
仕事したい、と願うわりには、
意外と不安が多かったのかもな。

都合のいい条件ばかり並べて、
タイミングばかり計って、

そいう事ことに囚われすぎていたのだよ、結局。

人が仕事を持っていることを羨ましく思うだけでは何も変わらない。
先に条件並べてそれに囚われていたら、始まるものも始まらない。





6月1日の日記

2011年6月1日 日常
ダメを最初に言ってしまったら、ダメだよね。

と、娘が「nonono, nonono can I do this, nonononono」と歌っているのを聞いて、
私はそんなに最初から「ダメ」って言っているかなー
言っているよねー。

ダメと最初に言わない子育てしないとな。

ちゃんと理由を言ってから、ダメ、って言わないと。いけんなー。



5月8日の日記

2011年5月8日 日常
上から目線、という言葉の意味を今さらだけど分かった。

自分の目線だけで、言ってしまう。

価値観の押しつけ?

気がつかないうちに、自分もそうなっていないか。
つい言いたくなってしまう時もある。
言いたい事があっても、その伝え方、タイミング、というの随分変わって来るから、
つい言いたくなってしまっても、ひと呼吸置くのを心がけよう。




5月4日の日記

2011年5月4日 日常
どうしても素直に喜べないのは、やはり悔しいからだと思う。

悔しい気持ちを押さえようとするから、邪悪な意地悪な心がでてくる。

どうやったら折り合いを付けられるのだろう。

私は私、と割り切る、というより
やはり、
彼女が幸せであればそれでいい、と願う事の方がすんなり割り切れそう。

結局は違う人生。当たり前だけど。
彼女のした決断や行動力が羨ましいだけで、私が同じ立場でその決断ができたのか、というと違う。
だから、違う人生なんだよ。

彼女は彼女の人生で幸せになってくれればいい。

偽善のように聞こえるけど、これが一番すんなり来るから。




5月3日の日記

2011年5月3日 日常
簡単な事から始めよう。
少しずつ、ちりも積もれば、である。

4月20日の日記

2011年4月20日 日常
もう同情を引くのはやめよう。アホらしい。

4月15日の日記

2011年4月15日 日常
私も放っておけばいいのに、ついつい。。

3月11日の日記

2011年3月11日 日常
なんだか、人間関係って微妙だな。
私も利用されて、イヤな気分にされ、さらに会えばいつもカチンとくるような事を言われ、最後には冷静にだけど相手に分かるようにやんわり関係を切ってしまった。
そんな経験があるから、人の心って怖いなーと思う。

自分が言った事、相手がどう取るかなんて分からない。
人の顔色見ながらじゃ、いい人間関係築けない。
じゃ、どうやって人と付き合っていくのだろう。
こんな事考えなくても、普通に付き合っていけばそれなりに人間関係作れると思っていたけどな。



3月11日の日記

2011年3月11日 日常
今日は子供に理不尽だったと思う。

私の友達が来ていた間にいつも以上におやつを食べたり、ダメというのを聞かなかったりしたので、かなり苛ついていた。
子供も友達が居るからそれ以上怒らないと計算している、と思うけど、でもまだそんな歳でもないから、やっぱり私の思い違いだと、今になって悟った。

うちの子はフレンドリーなんだと。一緒に成って話をしたり、参加したいんだろう。
親は親の都合があるわけで、親同士での会話に割り込んでこないように躾けなかったのは私たちのせい。きっと境界を微妙にしてしまったのね。
もちろん、小さいからというのもあるけど。

今日は、ダメというのを聞かずにおやつを食べてご飯を食べれなかった長女に苛つき、その腹いせをぐだぐだと嫌いな物を避けながら食べる長男に当たり、ダメと言っても聞くはずのない1歳児のジナンにキレたわけだ。
罰を与える(テレビをなしにするとか)と嫌悪感だけが残るわけで、本当は避けないといけないのに、そいう態度を取ってしまう。きっと心のどこかで、私がこうやって理不尽に喚き散らしても子供たちは付いて来るという自信があるのだろう。でもこの自信は、そのうち過信となり、冷たい目でしらっと諭されたりして私から離れて行くのだろう。
いい加減コントロールして、「怒り」ではなく「しかる」に替えて行かないと、子供に呆れられるなんて、ね。








1月17日の日記

2011年1月17日 日常
今年で40になるわけだが、
ふと、「はて、40代とはどうもんだろう」と疑問に思った。

分からない事は、ぐぐる。

結論からいうと、
「軌道修正」の時期、らしい。

20代30代のように、若さや勢いではもう無理な40代。
自分の器でもある程度できているし、当然体力も落ちている。
イチからやり直すにしろ、そのチャンスだって、20代30代にくらべたらぐーんと減るし、10年後は50歳、20年後には還暦である。
人生の半分過ぎてしまったのた。
まだ半分ある、という考え方もある。しかし、その半分は「老い」との戦いであるわけで、10代から20代30代へと続く前半40年とはまったくもって勝手が違う。

30代、子育てに追われていた人、仕事のと育児の両立を目指して忙しい毎日を送っていた人、仕事一本できた人、ふとした切っ掛けで「自分の事を考える時間」ができたときに、どこから手を付けていいのか分からない。そう、特急電車は急には止まれないのだ。

でも、ここで少し時間を自分を見直すのもいいのかもしれない。

10代20代に思い描いた人生と、現実のギャップは大きい。
思い通りになっている人なんているのだろうか。

私はこれで幸せ、これが自分の力量、と開き直ってしいるなら、それはそれでいいが、50代を過ぎれば否応無しに老いややってくる。
だから、20代30代に比べれば、チャンスも減るが、まだ40代、もう少し人生を突っ込んでみてもいいのでは。
いままで、走り抜けていた時間をここで少し修正し、今まで避けていた事、したくてもできなかった事にあまり興味がなかった事に、目を向ける10年なのかもしれない。
思い描いた人生と、現実のギャップを少し埋める事ができるかもしれない。
それ以上の事があるかもしれない。


どの道老いていくのだから、40代、人生を見つめ直すにはいい時期なのだ。

そして、今までのように「若さ」や「うつくしさ」だけを対象にしていたけど、
これから40代、しのびよる更年期障害、否応無しにやってくる老いを直視しながら、人生に「うつくしさ」以上の形容詞を身に付ける時期なのである。


老いを直視する事、それがキー私にとってキーなのかもしれない。




1月10日の日記

2011年1月10日 日常
。。。

1月7日の日記

2011年1月7日 日常
ある方の仕事関連の書物にて、

「未完了があると、感覚が鈍る」


確かに。

ー写真をフレームに入れたはいいけど、壁にも掛けずずっとオフィスにあったのを、思い切って寝室の壁に掛けてみた。タンスの上に並べていた子供たちの写真も隣に壁に掛けてみたら、あらすっきり。
気持ちがよくって、なんか行動力が上がった気が。

ーずっと気になっていた階段に無造作に掛かっていた洋服たち。コートラックを買ったら、あらすっきり。家の広く感じて、人がやってきても気持ちよく迎えられる。



いままで、片付けるのとに対して先行投資を出し渋っていたけど、これだけ気分も行動力も上昇するなら、早くやっておけばよかった。
だけど、無駄な物を買わないように気をつけないと。
きちんと吟味、吟味して。









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