業務上いろいろ独りでしなくちゃいけないこととかある。
壁にぶち当たっても何でもかんでも人に聞くわけにもいかず、自分で調べて調べてそれでも分からなかったら質問する。
そうやって仕事をしているけれども、そうすると壁にぶつかることが多い私は、いつまでも進まず、まぁそれはそれで勉強でいいかと思うけど、無理矢理理解しようとすると相変わらず眠くなるから、なんかだらーんとした毎日を過ごした。


あーやっと週末だと思って、でもそんなダラーンっとしたまま飲みに行ったりしてもなんか調子でない。
気の合う人がいて冗談いったりして居られればそれでいつもは回復するだろうけど、こういう時は重なるモノで、いつもはあまり感じないことに感じわりっとか思ったり、子供っぽいこと言ってみたり、言わなくて良いこと言ってみたり、なんか口に出せば出すほど墓穴を掘って全然違うこと言っていたり。

落ち込んでるわけじゃないけど。
人間には2つの顔があって、陰と陽という光と影というか。陰は人間の醜い部分というか、狡い部分だったり計算高い部分だったり。悪口とかなんてかわいいもので、たぶん他人には知られることのないもっとドロドロをした部分。
陰の部分を知らないで生きている人もたくさんいるんだろうな。
正義じゃないけど、「狡い大人」を批判する大人とか。
表面化された「狡さ」とか「醜さ」はどんなにそれが極悪非道であろうと、批判する側も表だって批判できる。だけれど、ずっとその行為や気持ちを奥の方に隠しながら「狡い」ことしている人はどうなのだろう、もっと『悪』である気がする。

しかし「狡さ」っていうのはある意味この世の中を生きていくたもに生まれた自己防衛策であり、生き抜いていく知恵とも言えないだろうか。
そうやって本能的に振る舞うことを人は「狡賢い」というのかもしれない。

なんだかんだいってもやっぱり、自分が狡賢く動いたことに気が付いちゃうと嫌悪感を持つ。
もちろん意識的に計画的に狡賢い行動にも嫌悪感をもつけれども、後から気が付くのとはかなり嫌悪感の質が違う。

もし私が懺悔しに行ったらきっと、私は水を被ることになるのは間違いない。
それで済むならそれがいい。
でも水を掛けてくれる神様はいないわけで、自分で自分を許すしかないのだろうか。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索