self development
2003年3月12日最近人に勧められて「7つの習慣」を読んでいる。
あまりこの手の本は好きではないので、適当に読んでいたら、一つ気が付いたことが。
私って人の話にあまり感情移入してないんだなぁって。
もちろん、悲しい話やうれしい話を聞けば悲しむし喜ぶ。でも、不平や不満話とか愚痴に関してはどちらかというと馬の耳に念仏状態で聞き流してるのよね。これも処世術といてばそうなんだけど、話手からいうと馬鹿にしてるように取れてしまうかもしれないなぁって。
とある友人は、いつも会うと不平や不満、愚痴と不幸話が大半をしてめいて、その不満や不平に関してはアル程度までは理解できるけど、なんでそう取るのかしら?と疑問になってしまい、最近では、イヤイヤそう言う考えがそもそも違うんじゃないの?みたいに助言をしてしまう。
これって、自分の経験と価値観を相手に押しつけてるのかしらって思う。
心を開いて話しをしてきてくれるのに、聞いてる私がそんな言い方したら、相手はだんだん心を閉ざして、本当に思っていることを言えなくしてしまうのだろう。
実際その友人と会った後は、その不平不満のオーラに影響されか生気が吸い取られてしまったような気分になる。
だから努めて冷静にかつ突き放して聞いてしまうようになったのかもしれないけど。
結局自分本位だったのかな。
影響されることのない自分の絶対的な核がきちんと形成されていなかったのかもしれない。だから、そのマイナスな影響に引きずられてしまうのを恐れて、感情移入を努めてせず相手の不平不満の根本にある何かを理解しようとしなかったのかもしれない。
会話のテクニックだけでは、相手の信頼は得れれないのよね。これってきっと人間関係の根本だと思う。
人に自分自身をその人のモノサシで計られるほど頭にくる事はないのは十分知っているから自分はそうしないでいるつもりで居たけれど、やっぱり少し自分の経験と価値観というフィルターを通して相手を見ていたのかも知れない。
プラスはたくさん影響されてマイナスは影響されない自分を作らなくてはね。
なんか真面目モードな本日。
あまりこの手の本は好きではないので、適当に読んでいたら、一つ気が付いたことが。
私って人の話にあまり感情移入してないんだなぁって。
もちろん、悲しい話やうれしい話を聞けば悲しむし喜ぶ。でも、不平や不満話とか愚痴に関してはどちらかというと馬の耳に念仏状態で聞き流してるのよね。これも処世術といてばそうなんだけど、話手からいうと馬鹿にしてるように取れてしまうかもしれないなぁって。
とある友人は、いつも会うと不平や不満、愚痴と不幸話が大半をしてめいて、その不満や不平に関してはアル程度までは理解できるけど、なんでそう取るのかしら?と疑問になってしまい、最近では、イヤイヤそう言う考えがそもそも違うんじゃないの?みたいに助言をしてしまう。
これって、自分の経験と価値観を相手に押しつけてるのかしらって思う。
心を開いて話しをしてきてくれるのに、聞いてる私がそんな言い方したら、相手はだんだん心を閉ざして、本当に思っていることを言えなくしてしまうのだろう。
実際その友人と会った後は、その不平不満のオーラに影響されか生気が吸い取られてしまったような気分になる。
だから努めて冷静にかつ突き放して聞いてしまうようになったのかもしれないけど。
結局自分本位だったのかな。
影響されることのない自分の絶対的な核がきちんと形成されていなかったのかもしれない。だから、そのマイナスな影響に引きずられてしまうのを恐れて、感情移入を努めてせず相手の不平不満の根本にある何かを理解しようとしなかったのかもしれない。
会話のテクニックだけでは、相手の信頼は得れれないのよね。これってきっと人間関係の根本だと思う。
人に自分自身をその人のモノサシで計られるほど頭にくる事はないのは十分知っているから自分はそうしないでいるつもりで居たけれど、やっぱり少し自分の経験と価値観というフィルターを通して相手を見ていたのかも知れない。
プラスはたくさん影響されてマイナスは影響されない自分を作らなくてはね。
なんか真面目モードな本日。
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